今日はTSUTAYAでDVDを借りてきて

自宅で映画鑑賞です。

観たのは、公開時に映画館で

観ることができず、

レンタルされるのを待ちわびていた・・・

585798e7スタジオジブリ

『かぐや姫の物語』







サブタイトルとして・・・

姫の犯した罪と罰。

とあります。




公開前から、とかく

構想8年とか、制作費50億円とか

“今回ジブリ、力入れてますよ”

みたいな前振りが

盛んに行われていましたが、

きよすけとしては

筆で書いたような線を基調とした

アナログ風な描写


公開時期が延期された理由でもあり

通常の2~3倍とも言われる

作画枚数の多さ
興味があったからです。



ストーリーは、

『今は昔竹取の翁といふものありけり。

 野山にまじりて 竹を取りつつ

 萬の事に使いけり。

 名をば讃岐造麿となんいひける。

 その竹の中に 本光る竹ひとすぢありけり。

 怪しがりて寄りて見るに・・・』

という、教科書にも出てきた言い回しで

ナレーションが始まり、

以降、通常の台詞で話が進みます。

基本的な流れは、

原作の『竹取物語』とほぼ同じなので

ある程度書いても“ネタバレ”には

ならないと思いますが、

物語自体のことは書くつもりはありません。



やはり、気になるのは

サブタイトルの

姫の犯した罪と罰。

・・・とはなにかということ。

そして、今回

きよすけは観終わった後に

涙が止まらなかったということ。

決して・・・昔話的な

“お別れが悲しくて”

というような涙ではありません。

終盤、月に帰るシーンの

絵コンテにも

『こういう愁嘆場は好きではない』

という、監督のものと思われる

言葉が書き込まれているそうです。

心を動かされ、涙を流した

本当の理由は、

やはり・・・

犯した罪と罰とは何なのか

ということを

感じてしまったからなのでしょう。

オフィシャルとしては、

原作の竹取物語にも書かれ、

本作内の童歌にも歌われているとおり

『月の人である姫が

 地球で鳥や虫や動物たちのように

 生きること』


に憧れたことが

月の世界では“罪”であり、

“罰”として地球に下ろされた。

ということになっています。

そして、感情をむき出しにして

帰りたくないと嘆く姫も

天人に衣を掛けられると

記憶を失い、無感情になって

月に帰って行きます。

しかし、記憶がなくなったはずの

姫は最後に地球を振り返り

涙するのです。



たしかに、そういった意味での

罪と罰はあったのかもしれません。



しかし、きよすけ

それとは違った部分での

罪と罰を感じて涙したのです。



物語のはじめから

竹取の翁は、

『神様はきっと

 そうおっしゃっているに違いない』


というような、

“きっとそうに違いない”とか

“こういうことなんだ”とか

“こうすることが幸せになれるのだ”とか

独りよがりな台詞が目立ちます。



かぐや姫も、

生まれ育った山村を離れ

大好きな幼なじみと別れることを

いやと言わなかった頃から

素直に思っていることを

あまり口にしなくなります。

たまに触れる自然に対し

心を解放させるような無邪気さを

見せることがあっても

今の環境においては

ぐっと自分を殺して

ふさぎ込むようなことも多くなります。

本心ではないことを言って

求婚者を惑わせたり

死に至らしめたことで

自分を責めたりもします。



その求婚者達

かぐや姫の求めた無理難題に対し

大金を使って贋作を作らせたり

実際に姫の心が少し動いてしまうほどの

浮いたような言葉で

姫を妻にしようとしたりします。

そのつもりの全く無い姫のために・・・





生まれたての赤ん坊の頃は

親も子もあんなに素直に

心から愛し合い

心を通わせていたのに・・・

子供のころは、友達同士も

お互い無邪気に触れあい

生き物や自然も身近にあったのに・・・



人は時が経って大人になると

本当の自分の気持ちを

言いたくても言えなかったり

心に蓋をしてしまったり

本心ではない言葉を口にしたり

嘘をついたり、

独りよがりになったり、

体裁や、しがらみを気にしたり、

いろいろありますよね。

『かぐや姫の物語』には、

そんな

現代の人間関係の希薄性に対する警鐘

または

言いたい事を言えなかった社会情勢への警戒

特に、この現代社会に生きる

私たちに対して

“もっと相手と関わりを持つべき”

“もっとコミュニケーションを図るべき”

“言いたいことをちゃんと伝えるべき”


ということを

伝えたかったのではないでしょうか。



罪を犯したのは・・・

姫だけではなかったのです。


物語に登場する

すべての“大人達”

罪を犯し、罰を受けています。



終盤、翁と媼に対して

“本当のこと”を打ち明けた後、

姫は感情を素直に出すことができ、

また、後戻りできない後悔に悩み、

そして、

生まれ育った山村へ帰ったときの

解き放たれた感情の高揚と躍動感。

親子とも、幼なじみとも、

愛する者とは

一緒にいるだけで幸せで、

心を通わせることが

どんなに生きる力になるかということ。



たとえ、“月へ帰る”その直前でも

それに気づき、それを抱いて行けたなら

たとえ、天人の羽衣で

記憶を奪われることになっても

その地で生きていけるのかもしれない。

いや、どこかにその記憶は

自分の意識にないところで

存在し続けるでしょう。



月から迎えに来る大きな一団は

まるで極楽浄土のような

幸せそうな音楽を奏でながら

やって来るのですが、

その先頭に立つ『月の王』は、

一切、言葉を発しません。

そして、お供の『女官』は、

感情をあらわに

翁と媼、地球との別れを悲しむ

『かぐや姫』に対して、

『さぁ、参りましょう。

 清らかな月の都へお戻りになれば、

 そのように心ざわめくこともなく、

 この地の穢れもぬぐい去りましょう。』

と語りかけるのですが、

まるで、この世の者とは思えないような

感情を抑えた話し方をします。

さらに・・・

この『女官』の台詞は、

実は『かぐや姫』と声と同じ人が

言っているのです。

自分に対して、もう一人の自分が

言い聞かせている絵図であるということ。

これが、

秩序や平和という

既成概念や理想を保つために

自分の心を抑え、

幸せそうな音楽に頼って

成り立っている現代社会を

表しているなら、



『大事にしなければいけないこと』



を忘れないように

生きていきたいと思います。





【追記】

かぐや姫の物語に登場する

キャラクターの一人に

女童(めのわらわ)という

かぐや姫の身の回りの世話をする

なんともかわいい

侍女見習いの女の子がいます。

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とある同僚によく似ているので

すごく言いたいのですが・・・

言いません。 言えません。

(^_^;)

結局、上の本文は

何だったんだ

みたいな

オチになってしまいますが

本人も含めて、分かる人には

分かるでしょう